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ダンナの実家に帰省した前日、私たちの元同僚Yさんの奥さんが亡くなっていた。
仕事に行っていれば職場内で葬儀の案内などがあったことだろうと思う。
あいにく休んでいたのでぜんぜん知らなかった。
Yさんはダンナとは同郷で、独身時代はいっしょに車で帰省することもあるほど親しくしていた。
ダンナが転職してからは疎遠になっていたけど。
奥さんの長兄と私は同級生で、小中学校は同じところに通っていた。
互いの母親同士のお付き合いもあり、子供の頃からよく知っていた。
そんな彼女の結婚相手がYさんだと聞いたときは、たいそう驚いたし嬉しかったことを覚えている。
Yさんと私が同じ職場で働いていたのは15年ほど前のこと。
そこは毎日めちゃくちゃ残業が多くて、休日出勤もしょっちゅうだった。
Yさんは中間管理職だったのでいつも最後まで残っていた。
たまに夕方のスーパーで奥さんと会ったりすると、「今日も遅くなりそう?」と聞かれたり。
その後、私は転職。
10年ほどのブランクが経て出戻ったとき、Yさんから奥さんの体調が良くないという話を聞いた。
その当時の彼女はまだ40才だったから、さほど深刻には受け止めなかった。
たまたまちょっと体調を崩しているんだろうなーくらい。
会社でYさんと会えば「奥さん元気にしてる?」と挨拶がわりに聞く。
「ぼちぼち」という返事が何年も続いてくると、「あれ?」となり。
もしかして重病なのかなと思ったりもしたけど、根掘り葉掘り聞くのも憚られたのでそのままに。
ダンナが帰省の土産物を持参して、Yさん宅をハイテンションで突撃ピンポンしたら、訃報を知らされシオシオになって帰って来た。
その後あらためて二人でお焼香に。
結局どうして40代の若さで亡くなったのかは聞けずじまい。
前日まで特段かわったところもなく普通だったのに、翌日仕事から戻ったら亡くなっていたらしい。
大学生と高校生の子どもがいるからまだまだ頑張るというYさんに、どんな言葉をかけたらいいのやら。
ふと思ったのは、奥さんがうちのダンナを呼んだのかしら?ってこと。
ふだん旅行先で買う土産物は、自分の職場でのバラマキ用と弟妹や親戚用だけ。
友人や先輩後輩に買うことはない。
そんなダンナが「Yさんに土産物を買う」と急に言い出した。
珍しいこともあるもんだなとは思ったけど、特に気にしなかった。
土産物は私が渡すんだろうと勝手に思っていた。フロアは違えど同じビルで働いているから。
ところが、自分で持っていくという。
確かにすぐ近くに住んではいる。車で10分もかからない。
そんな近くに住んでいながら何年も行き来がなく、電話すらしてこなかった人が。
Yさん宅まで持っていくと。
出掛けるときのウキウキと、帰宅したときのシオシオの差。
お互いびっくりしたでしょうねえ。
てっきり弔問かと思って玄関あけたら、ハイテンションで土産物を持ってニコニコ立ってるやつがいるという図。
申し訳ない…。
知らなかったから…。
ダンナのとぼけた様子に少しでもクスッとなってくれたならありがたい。
仕事のしすぎはいかん、体が大事、家族との時間も大事。
そんな当たり前のことを3人で確認して、「じゃあね、体に気をつけてね」と互いに声を掛け合って帰って来た。
ほんとに気をつけねばな。
仕事に行っていれば職場内で葬儀の案内などがあったことだろうと思う。
あいにく休んでいたのでぜんぜん知らなかった。
Yさんはダンナとは同郷で、独身時代はいっしょに車で帰省することもあるほど親しくしていた。
ダンナが転職してからは疎遠になっていたけど。
奥さんの長兄と私は同級生で、小中学校は同じところに通っていた。
互いの母親同士のお付き合いもあり、子供の頃からよく知っていた。
そんな彼女の結婚相手がYさんだと聞いたときは、たいそう驚いたし嬉しかったことを覚えている。
Yさんと私が同じ職場で働いていたのは15年ほど前のこと。
そこは毎日めちゃくちゃ残業が多くて、休日出勤もしょっちゅうだった。
Yさんは中間管理職だったのでいつも最後まで残っていた。
たまに夕方のスーパーで奥さんと会ったりすると、「今日も遅くなりそう?」と聞かれたり。
その後、私は転職。
10年ほどのブランクが経て出戻ったとき、Yさんから奥さんの体調が良くないという話を聞いた。
その当時の彼女はまだ40才だったから、さほど深刻には受け止めなかった。
たまたまちょっと体調を崩しているんだろうなーくらい。
会社でYさんと会えば「奥さん元気にしてる?」と挨拶がわりに聞く。
「ぼちぼち」という返事が何年も続いてくると、「あれ?」となり。
もしかして重病なのかなと思ったりもしたけど、根掘り葉掘り聞くのも憚られたのでそのままに。
ダンナが帰省の土産物を持参して、Yさん宅をハイテンションで突撃ピンポンしたら、訃報を知らされシオシオになって帰って来た。
その後あらためて二人でお焼香に。
結局どうして40代の若さで亡くなったのかは聞けずじまい。
前日まで特段かわったところもなく普通だったのに、翌日仕事から戻ったら亡くなっていたらしい。
大学生と高校生の子どもがいるからまだまだ頑張るというYさんに、どんな言葉をかけたらいいのやら。
ふと思ったのは、奥さんがうちのダンナを呼んだのかしら?ってこと。
ふだん旅行先で買う土産物は、自分の職場でのバラマキ用と弟妹や親戚用だけ。
友人や先輩後輩に買うことはない。
そんなダンナが「Yさんに土産物を買う」と急に言い出した。
珍しいこともあるもんだなとは思ったけど、特に気にしなかった。
土産物は私が渡すんだろうと勝手に思っていた。フロアは違えど同じビルで働いているから。
ところが、自分で持っていくという。
確かにすぐ近くに住んではいる。車で10分もかからない。
そんな近くに住んでいながら何年も行き来がなく、電話すらしてこなかった人が。
Yさん宅まで持っていくと。
出掛けるときのウキウキと、帰宅したときのシオシオの差。
お互いびっくりしたでしょうねえ。
てっきり弔問かと思って玄関あけたら、ハイテンションで土産物を持ってニコニコ立ってるやつがいるという図。
申し訳ない…。
知らなかったから…。
ダンナのとぼけた様子に少しでもクスッとなってくれたならありがたい。
仕事のしすぎはいかん、体が大事、家族との時間も大事。
そんな当たり前のことを3人で確認して、「じゃあね、体に気をつけてね」と互いに声を掛け合って帰って来た。
ほんとに気をつけねばな。
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先週の水曜日に派遣会社の営業マンとニュー偉い人の面談があった。
じろじろとの共同作業をなくすという件。
幸い(かどうかわからんけどw)セクハラについて開示することもなく、あっさり許可してもらえたらしい。
納期に対する保険の意味で、補助的な人材を確保することも検討することになった。
人選には細心の注意を払ってもらわにゃいかんけど。
なにしろ愛人という前列があるからww
あのときとは担当営業マンも違うし、採用面接をする偉い人も違うから、大丈夫だと信じたいww
相変わらずじろじろは鬱陶しい。
こっそり心の中で毒づいている日々。
熊本への帰省明けに出社したとき、じろじろヤロウとチームの若手男女がきゃっきゃウフフと楽しそうに会話している真っ最中だった。
じろじろヤロウがこの町の方言についの講釈をたれ、それを聞いた若手男女が面白そうに笑う。
特に私の方言はきついから、どうやらそれをネタにしていたらしい。
私の姿を認めた若手が「あ…」て感じでこちらを伺い、それに気づいたじろじろヤロウが振り向いて「あ…」となり。
私が「おはようございまーす」とみんなの横を通りすぎたら、直前までにぎやかだった会話がなくなりシーーーーンと。
気まずそうに若手からパラパラと挨拶が帰って来て、そのまま楽しげだった会話は終了。
自分の席に向かう私の背中に、じろじろヤロウからの小さなオハヨーゴザイマスが届いた。
あ~ら、ごめんなさいねww
噂をすればナンとやらってかww
私のいないところで、私を笑い者にすることに腹が立つ。
私をさも知っているかのように「あの人は◯◯なんだよ」とトリビア的な話をすることには、もっと腹が立つ。
じろじろめーーーーー(▼皿▼)凸
話を戻してっと。
晴れて共同作業ナシという確約を取り付けたので、だいぶ気が楽になった。
出勤してまず最初に図面フォルダを開き、じろじろヤロウが余計なモノを書いていないか確認する手間がなくなった。
イライラがひとつ減った\(^o^)/
じろじろとの共同作業をなくすという件。
幸い(かどうかわからんけどw)セクハラについて開示することもなく、あっさり許可してもらえたらしい。
納期に対する保険の意味で、補助的な人材を確保することも検討することになった。
人選には細心の注意を払ってもらわにゃいかんけど。
なにしろ愛人という前列があるからww
あのときとは担当営業マンも違うし、採用面接をする偉い人も違うから、大丈夫だと信じたいww
相変わらずじろじろは鬱陶しい。
こっそり心の中で毒づいている日々。
熊本への帰省明けに出社したとき、じろじろヤロウとチームの若手男女がきゃっきゃウフフと楽しそうに会話している真っ最中だった。
じろじろヤロウがこの町の方言についの講釈をたれ、それを聞いた若手男女が面白そうに笑う。
特に私の方言はきついから、どうやらそれをネタにしていたらしい。
私の姿を認めた若手が「あ…」て感じでこちらを伺い、それに気づいたじろじろヤロウが振り向いて「あ…」となり。
私が「おはようございまーす」とみんなの横を通りすぎたら、直前までにぎやかだった会話がなくなりシーーーーンと。
気まずそうに若手からパラパラと挨拶が帰って来て、そのまま楽しげだった会話は終了。
自分の席に向かう私の背中に、じろじろヤロウからの小さなオハヨーゴザイマスが届いた。
あ~ら、ごめんなさいねww
噂をすればナンとやらってかww
私のいないところで、私を笑い者にすることに腹が立つ。
私をさも知っているかのように「あの人は◯◯なんだよ」とトリビア的な話をすることには、もっと腹が立つ。
じろじろめーーーーー(▼皿▼)凸
話を戻してっと。
晴れて共同作業ナシという確約を取り付けたので、だいぶ気が楽になった。
出勤してまず最初に図面フォルダを開き、じろじろヤロウが余計なモノを書いていないか確認する手間がなくなった。
イライラがひとつ減った\(^o^)/
先週の(木)から(日)まで、ダンナの実家に帰省していた。
行けるかどうか直前までドキドキしてたけど、どうにかたどり着いてひと安心。
着いたその日はみんなで食事してゆっくりした。
翌日の日中はバスであちこち回り、夜は前夜祭に出かけた。
次の日は本祭りで朝からバスと徒歩で動き回り、昼前にダウン。2時間ほど横になったら少し回復したので、夜は実家に集まりみんなで食事。
最終日は昼前の新幹線に乗って帰って来た。
ホテルに大浴場があったのは有り難かったなあ。
他の女性客と重なることもほとんどなく、のんびりゆったりデレーーンと入ったw
義母と更年期障害について話せたのも有り難かったなあ。
自分の更年期障害が始まる前に母親を見送ったから、具体的なことは何も聞けなかった。
おばさん(母の妹)に聞いたことはあるけど、自分の症状と違いすぎてぜんぜん参考にならず。
義母は40代半ばで症状が出て、気分の落ち込みがとにかく酷かったらしい。
誰ともしゃべりたくない、仕事も家事もなにもしたくない、鬱みたいな状態だったと。
義父に「何か不満があるならハッキリ言ってくれ」と詰め寄られたこともあったそう。
その話を聞いて、「そういうことじゃないんだよなあ…」と私が呟いたら、義母が「そう!そういうことじゃないんだよ!」と激しく同意w
すると義父が苦笑いw
義母が婦人科にかかった時に担当医が言った言葉。
「今日もし洗濯しなかったとしても、着るものが全くないわけじゃないでしょ?」
「今夜の晩ごはんを漬物と味噌汁だけにしても、すぐ死ぬ訳じゃないでしょ?」
それを聞いて肩の荷が下りた義母は、家事をきっちりこなすことを止めたそう。
そうしたら少しずつ体と心が楽になり、3年ほどで鬱の症状がなくなったと。
なるほどー。
何でもきちんとこなそうなんて思っちゃいかんな。
そんなこと思っても、良いことはひとつもない。
更年期は「なるべく楽をする」ことを考えねばな。
改めてそう思った。
今回の帰省でちょっとだけ、ダンナの実家に対する拒否反応が改善されたかも。
いい人たちなのはわかっていたけど、なんとなく苦手意識が先行しちゃって。
義母は若くしてダンナを産み、私はダンナより5歳上。
義母と15歳差ってのもビミョーな気持ちになる原因なんだろな。
結婚して25年ちかく過ぎ、お互いに年を取り、いろんなカドが取れたのかなあ。
知らんけどww
毎年は無理だけど、2年に1回くらいのペースで帰省してもいいかな…とウッカリ思ったな。
行けるかどうか直前までドキドキしてたけど、どうにかたどり着いてひと安心。
着いたその日はみんなで食事してゆっくりした。
翌日の日中はバスであちこち回り、夜は前夜祭に出かけた。
次の日は本祭りで朝からバスと徒歩で動き回り、昼前にダウン。2時間ほど横になったら少し回復したので、夜は実家に集まりみんなで食事。
最終日は昼前の新幹線に乗って帰って来た。
ホテルに大浴場があったのは有り難かったなあ。
他の女性客と重なることもほとんどなく、のんびりゆったりデレーーンと入ったw
義母と更年期障害について話せたのも有り難かったなあ。
自分の更年期障害が始まる前に母親を見送ったから、具体的なことは何も聞けなかった。
おばさん(母の妹)に聞いたことはあるけど、自分の症状と違いすぎてぜんぜん参考にならず。
義母は40代半ばで症状が出て、気分の落ち込みがとにかく酷かったらしい。
誰ともしゃべりたくない、仕事も家事もなにもしたくない、鬱みたいな状態だったと。
義父に「何か不満があるならハッキリ言ってくれ」と詰め寄られたこともあったそう。
その話を聞いて、「そういうことじゃないんだよなあ…」と私が呟いたら、義母が「そう!そういうことじゃないんだよ!」と激しく同意w
すると義父が苦笑いw
義母が婦人科にかかった時に担当医が言った言葉。
「今日もし洗濯しなかったとしても、着るものが全くないわけじゃないでしょ?」
「今夜の晩ごはんを漬物と味噌汁だけにしても、すぐ死ぬ訳じゃないでしょ?」
それを聞いて肩の荷が下りた義母は、家事をきっちりこなすことを止めたそう。
そうしたら少しずつ体と心が楽になり、3年ほどで鬱の症状がなくなったと。
なるほどー。
何でもきちんとこなそうなんて思っちゃいかんな。
そんなこと思っても、良いことはひとつもない。
更年期は「なるべく楽をする」ことを考えねばな。
改めてそう思った。
今回の帰省でちょっとだけ、ダンナの実家に対する拒否反応が改善されたかも。
いい人たちなのはわかっていたけど、なんとなく苦手意識が先行しちゃって。
義母は若くしてダンナを産み、私はダンナより5歳上。
義母と15歳差ってのもビミョーな気持ちになる原因なんだろな。
結婚して25年ちかく過ぎ、お互いに年を取り、いろんなカドが取れたのかなあ。
知らんけどww
毎年は無理だけど、2年に1回くらいのペースで帰省してもいいかな…とウッカリ思ったな。